重症心身障害児が生きる意味とは?看護の役割について。
2018/06/11
どうもmartonです。
僕は重症心身障害児の病棟で働いています。
脳性麻痺の子が多く、中には呼吸器を常時使用しないと命を保つことができない子もいます。
日常生活動作も、ほとんどが介助を必要としますし、意思の疎通すらもままならない。というか、外見上反応が見られない子もいます。
経鼻経腸で栄養摂取していたり、痰の処理ができず、適宜吸引する必要があったり。
この病棟に入った時、疑問に思ったことがありました。
この子達が生きている意味はなにか。
1年目の自分には、かなり大きな壁でした。ただ、この疑問が湧いたと同時に、この疑問は必ず解決しなければいけないと思いました。
なぜなら、僕は今後この子たちとずっと関わっていくから。この病棟に働くから。なぜ生きているのか。これがわからないと、関わりがどんどん無機質なものになっていくと感じたからです。
外とのコミュニケーションが一切取れない。喜んでいるのか、悲しんでいるのか、苦しんでいるのかもわからないこの子たちが生きていく意味とはなんなのか。自分が納得できる答えにたどり着かせてくれたのは、患者さんのご家族でした。
ほぼ毎日、お見舞いに来る家族。
ウチの病棟でも、かなり重症度の高い子を受け持つことになりました。
その子のご家族は、ほとんど毎日、夕方頃にその子のお見舞いに来られます。
身の回りのお世話を一緒にしたり、その子に必要な道具やお洋服を手作りで持って来られます。
その姿を見て「本当に愛されているな。」と思うと同時に、「大変だな。」と思っていました。
何度もその姿を見るたびに、少しずつ気づき始めたんです。
この子は、この家族のために生きているんだ。
だけどこの子は1人で生きることはできない。食べることも。着替えることも。息をすることも。誰かがしないと生きていけない。
あぁ、だからこの病棟があって、ドクター、ナースがいるのか。
ということは、この子だけではなく、家族のために看護しているんだ。僕は。
僕自身の中で、かなり納得のいく答えでした。自分たちが必要とされる意味がわかった気がしました。
障害のある子を生かす選択をした家族。
医療技術の発達により、重症な障害を持った子でも生きていける環境を作れる時代になりました。
だけど、それって本当にいいことだったのか。命は平等、何よりも変えがたいのは頭では理解しているつもりでしたが。。
この子にとって幸せなのか。生きたいと思っているのか。もっと言えば、楽になりたいんじゃないか。。なんて考えてました。
だけど、この病棟で働いていくうちに、
その子を生かしたいと望んだ家族がいる。求められてる命だから生きているんだ。
ということに気づきました。
障害を持った子どもを持ったご家族の気持ちを、簡単にわかったなんて言うことはできません。でも間違いなく、辛い選択だったと思います。
その選択をしてでも守りたいと思った、守られた命と関わっているということになります。
ウチの病棟の患者さんの家族で、約3割くらいの家族はお見舞いに来ません。
だけど、その患者の家族も、患者が生きることを望んだんです。その命を守り、その子たちが生活できる限られた環境の中で、できる限り幸せに生きていくためのお手伝いを、僕はしています。